ナショナルジオグラフィックの表紙写真のアイコンにもなっている「アフガンの少女」の写真(左側)である。あまりにも有名な1985年6月号の表紙写真である。この表紙写真を撮影したスティーブ・マッカリー氏が、その掲載号から17年後にようやく彼女を探しあてて再会を果たし、その時に撮ったのが右側の写真である。再会の記事は、2002年4月号に「アフガン難民の少女発見」として掲載され、下の右側の写真のように、再び表紙を飾った。
そして、創刊125周年特別号にあたる2013年10月号(日本語版はこちら)が「写真の力」を特集テーマとし、表紙に「アフガンの少女」が三度目の出番となった。
これに合わせて、「アフガンの少女」のエピソードとして、この世紀の写真が実はボツになりそうだったという話が紹介されている。撮影者の上司に相当するフォト・エディターが「表紙にはキツすぎる」ということで、編集長に見せずにボツにしようとした。でも撮影者のマッカリー氏は食い下がり、強烈過ぎる写真だけだと拒否されそうなので、顔を手で覆ったもう一枚の写真(上の左側の写真)と合わせて、編集長に並べて見せることにこぎ着けた。編集長は、強烈な写真を指差し「次の号の表紙はこれ」と即答したという。もし顔を手で覆った写真が選ばれていたら、後に語られることはなかっただろう。
個人的にも忘れられない写真である。当時はナショナルジオグラフィックの日本語版はまだ創刊されていなかったが、友人も含め日本にも同誌英語版の購読者がかなり存在していた。またこの写真の背景となる、ソ連軍のアフガニスタン侵攻は1979年末であるが、その速報をアンナプルナ氷河上のテントで短波放送から知ったこともあって、その後のソ連・アフガン戦争は遠い地の出来事には思えなかった。ソ連侵攻に抗議して、米国に同調する形で西側諸国がモスクワオリンピックをボイコットしたように、世界中の多くの目も向けられていった。ソ連軍と共産主義政権に対する抵抗組織に、米国(CIA)が資金支援し、またイスラム諸国からの大量の義勇兵(ビン・ラーディンもその一人)が加わり、複雑な泥沼の戦いに入っていった。
でも次第に世界の大半の人がアフガン紛争を気にしなくなっていき、たとえ関心があっても激しい戦闘の行方にしか注視していなかったときに、世界に1000万人以上の読者を抱える同誌の表紙に「アフガンの少女」が現れたのだ。国土が破壊されつくされ多くの市民が犠牲になり、数百万規模の難民で溢れている悲惨さを、世界に訴える写真となった。マッカリー氏が「人の無防備な瞬間をとらえ、その人の大事な魂や、顔に刻まれた人生を見つける」と言うように、12歳難民少女の緑の目が読者の心に深く刺さった。
スティーブ・マッカリー氏の写真力のすごさは、ネット上のギャラリーでも垣間見える。身近なところでは、東日本大震災 の写真も忘れられない。
◇参考
・第27回 実はボツ写真だった史上もっとも有名な「アフガンの少女」(そうだったのか! 『ナショナル ジオグラフィック』)
・Afghan Girl(National Geographic)
・‘Afghan girl’ cameraman tells stories behind pictures(arab news)
・Iconic 'Afghan girl' image was almost cut, photographer reveals(Today News)
・写真の力、(ナショナルジオグラフィック日本版 2013年10月号)